Flyingbat Albatros D.III (Oef) illustrations


Marking and Camouflage


53.37 / flown by Ltn. Josef Kiss

アルバトロスDIII53.37左側面図
1917年10月、ペルジーネ離着陸場の53.37、搭乗者はヨーゼフ・キス少尉(Flik24D)。この機体はFlik48Dの公式マークになる赤の機首、支柱、ホイールカバーにしていますが、Flik48Dで共用していました。機体の特徴は、外側の翼間支柱に付く補強支柱と右側だけのシュワルツローゼ機関銃、カウリングがC-1タイプ、バックミラーが付いています。
アルバトロスDIII53.37右側面図
アルバトロスDIII53.37上面図

Ltn. Josef Kiss

ヨーゼフ・キス少尉は、19機の撃墜記録を持つオーストリア=ハンガリー第5位のエースパイロットです。 彼の父は庭師ですが、母方の祖父はハンガリー革命で処刑された「13人の殉教者」の1人エルネー・キス中将になります。

彼は陸軍士官学校で勉学に励みますが、戦争が始まると中退をして一兵卒となりロシア戦線に参加します。そこで負傷し、療養後はパイロットを目指し航空学校に入ります。最初の配属先となったFlik24で7機撃墜しますが、一度撃墜されました。その後、Flik55Jに転属し、指揮官のヨーゼフ・フォン・マイアー大尉やユリウス・アレギ曹長達と共に撃墜記録を伸ばしていきますが、1918年1月に撃墜され腸の一部をなくす重症を負います。それでも2ヶ月後には復帰するのですが… 重症をおってから4ヶ月後に撃墜され21歳で戦死しました。彼の死を受け、RAF(キスを撃墜したイギリス空軍Royal Air Force )は、葬式の日にペルジーネ飛行場上空から花束を投げキスへの経緯を払いました。

彼にはペルジーネ離着陸場の近くに住む彼女がいました。名前はエンリカ・ボネッカ―、彼女は生涯結婚することなく、亡くなるまでの52年間 毎日キスの墓参りをしたそうです。

彼は士官になることが願いの一つだったそうです。この生き急いだ青年は、家名の屈辱を晴らそうとしていたのかもしれません。戦死した翌日、キスはオーストリア=ハンガリーでは唯一の下士官から士官へ昇進となり、 少尉となりました。

本・雑誌・ネット掲載写真

※2 LEGENDS OF AVIATION 5 Albatros D.I-D.Va Legendary fighter p.37#17
※6 GERMAN AND AUSTRO-HUNGARIAN AIRCRAFT MANUFACTURERS p.108#17
※28 CROSS & COCKADE Vol.19, No.4 p.166#17
40 Vrtulníky v Česku Helicopters in Czechia všeho do 1950 > Flik 24#17

ヨーゼフ・キスの参考・参照資料

※9 ABOVE THE WAR FRONTS p.187-188
※38 The Aerodrome Aces > Aces by Nation > Austria-Hungary >Kiss, Josef
WIKIPEDIA_Josef Kiss


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